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3月28日(木) サボイでアメリカ人の保守性について考える。
誕生日くらい予約なしでは入れないレストランに行こう!というわけで、ソーホーのサボイに行く。
サボイはバレンタインデイ間近になると見かける「ロマンチックなレストラン特集」などに必ず顔を出すレストランだ。映画「グリーンカード」でジェラルド・ドパリューが慣れないウエイターをしている所に偶然アンディー・マクドゥーエルが来てしまうというシーンもここで撮影されたらしい。
第一印象としては「これって…そんなにロマンチックだっけ?」というもの。一般的に「ロマンチック」なインテリアの代表だと思われている「本物の暖炉」は確かにあったが、全体的には思ったより普通っぽいインテリアだった。少しカントリーが入っているが徹底しているわけではないし、色使いも普通。逆にその抑えたところが、趣味のいい普通の家を訪れたような感じ、という事で評価されてるのかしら?
料理も忘れられないような味、という訳ではなかったが、サラダに使ってあるチーズやドレッシングが使い過ぎにならないギリギリの程よい量だけ使われていたり、シーフードシチューに入っていたムール貝が見た事もないぐらいぷっくり太っていた所に明らかにシェフの気づかいが感じられた。
一番印象に残ったのはサービス。愛想を振りまくわけではないのに、終始落ち着いた低い声でよどみないサービスをするウェイターがとにかくプロフェッショナルだった。珍しいお茶がいくつかあったので原産地を聞くと、もともとどこのお茶かだけでなく、生産地と卸し元まで教えてくれたのにはちょっと感動した。デザートのクリームブリュレに、例の暖炉の火を使った焼ごてでその場で表面をキャラメライズするという演出もよかった。その瞬間は店中に砂糖が焦げる甘-い匂いが漂い、店内のすべての目と鼻がクリームブリュレに注目してました。
ニューヨークにレストランはくさるほどあるが、考えてみると忘れられないような印象を残すレストランはそれほどないような気がする。と言っても不満やアクシデントがあれば逆に憶えているだろうから、味、雰囲気、サービスのすべてが平均点以上で、初めから最後までスムーズに運んだがために強い印象が残らない、という一流レストランはたくさんある。特にニューアメリカンのレストランにその傾向が強いような気がする。去年の誕生日はゴッサム・バー&グリルに行ったが、別にまた行きたいとは思わなかった。しかし、何か特別の日にはこういうレストランを予約しておくと、まずはずす事はないし、行った時の満足度は確実に高い。割り切ってそういう使い方をすればいいわけか。
しかし、この手のレストランがニューヨークに文字どおり五万とあるレストランの人気ナンバー10に常に顔を出しているわけだから、アメリカ人って実に保守的だな、と思う。レストランに限らずともそれはアメリカ生活が長くなればなるほど感じるのよね。ファッションにしたって、主流はギャップ、バナナリパブリック、Jクルー、クラブモナコなど、可もなく不可もない無個性なものでしょ。自己主張が強く目立つが勝ち、と他国では一般的に思われているアメリカ人も、大多数がベージュのチノパンをはいてるのが一番落ち着くのだもの。奇抜なインテリアや独創的なメニューは、一時的に話題になったとしてもすぐに飽きられても不思議はない。ユニオンスクエアカフェやグラマシー・タバーンら何年も変わらず高い人気を誇っているレストランは、ベージュのチノパンのようないい意味での「普通さ」を残しつつ、しかも高い質を保つ事に成功しているから飽きられないんだろうな。
3月3日(日)アンジェリカのトイレでアメリカの不法労働者について考える。
ソーホーのアンジェリカシアターに「In The Bedroom」を見に行く。
映画が終わってトイレに行くと、バスルームアテンダントがいてビックリ。クラブや高級レストランにいるのは珍しくもないけど、ついに映画館にまで進出してきたかー、という感じ。
まったくアメリカのトイレの汚さは想像を絶する。トイレットペーパーは便器の中に捨てるとか、おしっこは便座にではなく便器の中にするとか、手を拭いたペーパータオルはゴミ箱に捨てるとか、「何でこんな簡単な事ができないかなぁ、キミ達は~。」とあきれるくらいトイレは汚れてて当たり前。それも公衆便所とかならある程度しかたない、とも思えるが、中級以上のレストランでさえ平気で汚い所がある。
こんな状況だからバスルームアテンダントという職業が成り立つんだろう。アテンダントは普通時給などもらってなくて、完全にチップだけが収入だから、お店側にすれば懐をいためる事なしにトイレをキレイに保つ事ができる。アンジェリカだって200人ぐらい入るシアターが5つぐらいあるんだっけ?週末は一晩に3回転するとして計3000人。半分が女性と仮定して、そのまた半分がトイレに行って四分の一が1ドル置けば一晩に200ドル弱。チップを置く人の割合が六分の一だとしても100ドル強。ウェイターだって一晩にそれだけ稼ぐのは大変だゾ。普通アテンダントは労働許可を持っていない移民だから、不法労働の証拠が残らない現金収入がこれだけ入る可能性があるのは魅力だろう。英語が話せなくても関係ないし、特別な技能や道具も必要なし。合法で働けないなら、家でじっとしているよりはよっぽど有益。誰も損をしないウィンウィンシチュエーションというわけか。
しかし予想していない場所でバスルームアテンダントを「発見」すると「あちゃー、ここにもいたか~。」と一瞬たじろぐ。手を洗っているとリキッドソープをピュッとそそぐし、石鹸をすすいでいると、人がすすぎ終わるのをペーパータオルを手に持って横でじーっと待っている。チップを期待する中途半端な笑みを浮かべている事も多く、何だか落ち着かないったらありゃしない。彼らがいるおかげでトイレがキレイに保たれるのは確かにありがたいけど、石鹸をつけるとかペーパータオルを取るぐらい自分で簡単にできるサービスを強制的にされたからといって、当然のようにチップを期待されるのは、どうも納得がいかない。チップを置くか置かずに去るか、小さくても心の葛藤が生まれるのよね。トイレを出る時もチップを置いた時は何となくプレッシャーに負けたような敗北感があるし、置かない時は小さくても罪悪感が生まれるし、で私にとってはルーズルーズシチュエーションなのだ。
でもチップの収入にアテンダントと家族の生活がかかっているのは事実。置くなら置くで、毎回ソワソワするのもイヤなので「2回同じアテンダントがいるトイレに行ったら1ドル置く」というマイルールを最近決めました。それ以来迷う事は減ったけど、2回に一回はチップを置かずに出るわけだから、彼らの目が無言で「何も置かずに行ってしまうのね…アナタ。」と言っているように思えて、やっぱりちょっと罪悪感を感じる。つい心の中で「次に来た時に置くんだからいーの!」と自分で自分に言い聞かせたりして。「何でトイレに行ってまでストレス感じなきゃならんのだ。」とやっぱり割り切れないものを感じるのだった。